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バレーボール女子日本代表の古賀紗理那(NEC)が16日、・古都内で引退会見を開いた 。賀紗会見VリーグでMVPは3度受賞 。理那2度目の出場となったパリ五輪で 、引退い語主将を務めた180センチのアタッカーが五輪を最後の舞台とし、都内胃がん 手術 後 の スポーツ現役を退く決断を下した。で始
小学2年でバレーボールを始め 、競技地元の強豪・熊本信愛女学院高に進んだ 。人生1年時に全日本高校選手権(春高バレー)で4強、年思2年時に全国高校総合体育大会(インターハイ)で準優勝。バレーボールまる20る中高はアンダーカテゴリーの代表で活躍してきたが、・古13年4月 、賀紗会見真鍋政義監督が率いた日本代表に高校2年で初選出された 。理那当時 、引退い語スポーツ 背中 の 痛みエースの木村沙織らとともに攻撃陣の軸の一人として 、存在感を放ってきた 。
高校を卒業後 、15年にNECに入団し 、16―17年、22―23年、23―24年に3度優勝し 、いずれもMVPに輝いた。日本代表では、21年東京五輪に初出場し、22年からは全日本の主将に就任 。今年の5~6月のネーションズリーグでは初の銀メダル。個人でもトルコのエース・バルガスに続く176得点をマークし 、ベストアウトサイドヒッターのタイトルを獲得 。今夏のパリ五輪は「エースで主将」の大役を担い 、チームを引っ張った 。
パリ五輪に出発する前日の7月9日、自身のSNSでパリ大会を最後に現役引退することを表明 。前回の東京大会後から決めていたとし「五輪に集中したい」との思いから 、大会開幕前に明かした 。「この競技が好き。感謝を込めてプレーしたい」と最後の舞台へ向かった。引退試合となった3日の1次リーグ最終戦のケニア戦(3〇0)では、チーム最多16得点で最後までけん引 。試合後にはコート上で突っ伏し、涙に暮れた 。「きょうはバレーボールが大好きな古賀紗理那として戦いました」と声を震わせた 。競技人生20年 、最後まで真っすぐ競技と向き合い続けた日本女子のエースが、選手生活にピリオドを打った。
◆古賀紗理那(こが・さりな)1996年5月21日、佐賀・神埼郡生まれ。28歳。小学2年時からバレーを始め、熊本・大津中から熊本信愛女学院高に進む。13年、日本代表に初選出 。卒業後はVリーグ・NECに入団し、16年に最優秀新人賞を獲得 。21年東京五輪代表 。22年から日本代表主将 。同年12月末 、男子代表の西田有志との結婚を発表 。23 、24年に2年連続でVリーグMVP受賞 。180センチ 。最高到達点305センチ。
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